mixiと連動

(同じ学校だった人から叩かれる事覚悟で書きます)



祖父が亡くなりました。
結構普通そうにしていましたが、ここんとこ意外と凹んでました
そして祖父の体調がヤバくなってからというもの、どうゆうわけか楽しかった思い出しか出てきません。
自分もじいちゃんも自己主張の塊のような感じだったので割りとケンカも多かった方です(といっても普通に毎日会話するくらい仲はいいはずです)
本当ついこの間まで一緒にご飯を食べて一緒にテレビを見たりというごく当たり前の生活が普通となっていたんで日に日に弱っていく姿を見てなんか切なくなりました。
普段は強がっているけど小心者でシャイなじいちゃんでした。
本人はもう死ぬってわかってたんでしょうが、糖尿病がよくなればまた血管ぞうえい(漢字わからん)ができるからそしたら家に帰るんだとかも5月10日くらいまではナースやお見舞いに来た人に言ってました。
日曜の朝に血糖値と血圧が異常な程低下して一時はどうなるかと思ったんですが、点滴ですぐに回復して調子よくなり(と言っても会話が普通にできる程度)状態も安定していました。
そんなわけで自分は府中へ行きました。
お腹に水が溜まってるのもあって何かを口にすると嘔吐してしまう状態だったんですが、月曜は少し血液のまじりの嘔吐だったそうです。
いきなりの状態悪化だったため親もテンパったりして、自分も病院に行こう行こうと思ったんですが、自分は血液を見ると気分がおかしくなって貧血になったり体が変になるのわかってたんで迷っていました。
状態悪化して行こうと思うと落ち着いたりして完全にタイミングを逃した状態です(覚悟を決めて行こうとすると落ち着くんで)
生きてるうちに祖母が会いたいと言えば一緒に行く予定でしたが、見舞いに行って祖父のつらそうな姿をみて自分も気が動転したら嫌という理由で自宅待機するという祖母
事が重大になって凶報を聞いて倒れても困るので自分は祖母と一緒に待機する事になりました。
そんなこんなで火曜はかなりひどい吐血
状況が状況だけにで親戚が沢山見舞いに行ったようなんですが、そこで弱音を吐くと思いきやじいちゃんは 『親戚みんな来るけどおれはなんでもねーからそんなに来ないでもいいのに』 と相変わらずの強気の発言だったそうです
おれそれ聞いて泣いちゃいました
でもそう言ってきた火曜日にのんちゃん(水戸の姉でガン科のナース)だけに 『おれは18日に家に帰るんだ』 と言っていたみたいです
それ聞いてさらに涙出ました・・・
本日(もう昨日ですが)16日の夕方に死んだんですけど、明日17日には(日づけ変わって今日)老人会の友人が何人かで見舞いに来るっていうんで楽しみにしていたみたいなんです
15日火曜に、おれはなんでもないから見舞いなんか来なくたっていいんだよ的発言しておきながら、のんちゃんには18日に家に帰るって言ってたって事は・・・
もう死ぬのはわかっていて、17日にみんなと会うまでは頑張って、18日には死んで家に帰ってくるつもりだったって事ですよね・・・
普段元気な姿しか見てないから弱った姿を見るのが怖くて病院に行かなかった事を後悔しました
5月5日くらいまではおかゆとか食べたりできたんですが、それ以降は食べてもすぐに嘔吐しちゃって食べれらない状態になっていました。
5月3日、4日に外泊で家にもどって来た時にはまだまだ元気で、その時に自分と一緒に食べたマンゴーアイスが食べたいって言ってたみたいで、すぐに自分が買ってきて母親にもたせました。
食べれない状況でしたが1粒だけ食べてくれたみたいです(それが10日の話です)
直接立ち会ってはいませんがそれが最後の思い出って感じですかね
強がりな自分としては最後まで強がったじいちゃんを尊敬したいと思います
といっても流石に死ぬ間際はつらかったみたいで、『もうコレ(酸素のやつ)取っちゃってくれ』とか、頑固だったにも関わらず母親と母親妹に『世話になったな』とかこぼしていたみたいです


はぁ・・・今じいちゃん帰ってきて家にいるけど今にもまた文句言い出しそうな顔してやがるぜクソぉ・・・




自分は冷たい人間なんで人の死とかどうでもいい派の人間なんです
殺人事件とか聞いても、防衛能力がないから殺される方が悪いとか思っちゃうような感じです
世間の奴らは保険保険言うならすべてに保険かけて、車とかも軽なんて乗らないでぶつかって有利なトラックとか普通車だったらセルシオとかメルセデスでも乗ってれば?とかまで思います。
物騒な世の中だ とか言うならぢゃあオマエ筋トレするなりジムに通うなりして体鍛えれば?それも保険の一種ぢゃん とか思います
あと仲よくない知り合いとかが死んでもなんとも思わなかったり
たとえ同じクラスだった人でも連絡先も知らない場合は生きていようが死のうが自分の生活には何も変わりはないですから
だからといってなんとも思ってないわけでもないし落合の事だって忘れた事なんてまったくない(あえて名指しで書かせて頂きます)
自分ではむしろ悲しんでたやつ以上にあいつの存在は意識していると思っています
1週間のうちに少なくとも3,4回は思い出してる気がする(別に好きだったとかぢゃないです)
何故なら若くして亡くなってしまったぢゃないですか、だからどんな事を思ったんだろうとか考えちゃうんです(心境的に老人と若者では違うと思うんで)
もしも自分自身が余命を言い渡されたらとか
死を迎える前にあの人にこういう事してあげたい
あの人にこういう風にお礼を言いたい
あれを食べてから死にたいとか形見としてどんな物をダレに託したいとか・・・
自分の死に際の生き方つね日ごろから意識しているし、死ぬときは死ぬで覚悟しているから・・・だと思います
そんな感じなんで死について世間のみなさん程抵抗はないとも思っていたし、じいちゃんが元気だった頃はよくぶつかっていたせいか死んでもなんとも思わないだろうとかも思ってましたし、正直なところ15、6歳の反抗期の時なんか家族なのに葬式とか出なくてもいいだろうくらいに思っていた時期もあります。
うちのじいちゃんの場合はC型肝炎→肝硬変→肝臓癌で糖尿併発だったんですが、まだ元気な頃に元職場の人間と食事会行って、糖尿なのにコーラばっかり飲んだり、肝硬変までいって、むしろ肝臓ガンと診断された初期の頃までは症状が出ないので普通にお酒飲んだりしていました。
入退院を繰り返している時もタバコすってたし、これって完全なる自業自得ぢゃないですか?
自業自得なんだからしょうがないぢゃんとか思う人なんですよ自分
注意してもやめないんですから・・・体調管理が出来てないんだから仕方ないぢゃんとかね・・・
そんな冷酷な私なんですが、いざ側近がドクターから死の宣告をされ、弱っていく姿を見てると、上にも書きましたが不思議と幼少の頃の思い出とか最近でいうと、ただ果物1つを2人で半分にして食べたとかいう些細な事とかそんなんですけど楽しい、良い思いでしか出てこない物です
仲のいい方はわかると思いますが、自分は背伸びして生きているんで人前で泣けるような人間ではないので、この文章を書きながら1人泣いています・・・
ここで発散して明日からまた平然とした顔で頑張ろうと思います


↑症状が出るまでお酒もタバコもやめなかったじいちゃんですが、ここ数日は本当辛かったんでしょうね
親戚とかに『こんな思いするならお酒なんか飲まなきゃよかった』とか、『おれみたいになるから今度から少ししか飲んぢゃダメだ、約束しろ』とか言ってましたからね
でも辛くなってから気づく=末期って感じですから・・・気づくの遅すぎです(泣)
自分が30とかになるまでは普通に一緒に元気なまま暮らしてると思ったんで思った以上にショックでかいです・・・



余談ですが、オヤジもタバコの吸いすぎで常に咳してるからガンて診断されて瀕死状態になるまではわからないんでしょうね・・・
正直うちの父親しっかりしてなさすぎなので完全に父親として見てない状態です
これもまたじいちゃんと一緒で死のせんこくくらってから父親という存在の重要さを認識させられるんですかね・・・
何もかも気づくのおせーよおれの人生・・・どれだけラグいんだよ・・・





とやっと部屋にもどってきて1人になってPCに向かってそのまま文章書いてるんでうまく文がまとまりませんが今出てくる事はすべて書いた感じです・・・



とりあえず・・・

通夜が18(木)告別式が19(金)なのでうちのじいちゃんと会った事ある人は暇だったら御焼香に来てやってくださいm(__)m
きっと喜ぶと思います
↑岸田邸です

※焼香の際にお金とか持ってこないといけないっぽいですが常識とか世間のルールとか無視してそんなの持ってこなくてもいいので来れるなら来てあげてください